50代セミリタイヤ後の生き方

 

私の50代セミリタイア後の生き方

お付き合いください

走り始め

なぜ看護師になったのか?

振り返ってみたけど

ある日突然みたいな感じだったな。

高校生の時に進路指導があって

ほとんどが短大に進学して、残りは就職の感じだった。

当時は金の卵時代で(私は昭和41年生まれです)

大卒や短大卒より高卒の方が、いわゆる良い企業に就職が出来る時代でした。

部活に力を入れている高校だったので、部長やリーダー的立場に居た先輩は

メガバンクや大手の保険会社に就職していきました。

そこでの先輩方の評価が良ければ私たち後輩はまたいわゆる良い会社に

内定が決まっていきました。

私は、看護学校に進学したかったのですが

まずは、進学資金を作ろうと思い自動車会社に就職しました。

1年後、会社を退職して准看護学校に進学し卒業後看護学校に入学

22歳で看護師の国家資格を取得しました。

看護師としての走り始めは、なんとも情けなく弱々しい自分でしたよ。

オドオドしていて声も小さく存在感は無いというより

居るのかなくらいでした。

今考えてみれば、自信の無さ全開といった感じです。

走り続ける

これはもう理由は1つ

私の場合は、パートナーがいても妊娠しなかったということです。

やはり女性は人生にステージがあって

結婚、妊娠、出産、育児、

それが一段落すると、更年期、親(義親の介護や看病)、自分の体調不良、孫の世話

などが訪れます。

これらは、女性の場合自分よりも優先しなければならない命があり

仕事は二の次にならざるを得なくなります。

私は、この子供に関する部分がなかったので仕事は続けてこられました。

仕事にやりがいを感じたとか、重要な役割を与えられてとかじゃなかったです。

現に、20代の時に師長の居ない病棟で主任になりましたが

全くリーダーシップなんて取れませんでしたから。

スタッフも分かっていたんですよね

「子供が居ないから経験年数稼げてるだけじゃん」的な

だから、舐められキャラでしたよね。

実にしんどかったですよ20代は

不妊治療もしていましたから、パートナーとの関係性もどんどん悪くなったし

最初の転機

30代に入って

「そろそろ、不妊治療も諦めなきゃ」と思い始めました。

だって、何回体外受精しても1回も着床しないんだもん。

しかも、原因がない!!

今、思えば先天性の心疾患があったからではないかと思ってます。

評判の良いと言われている不妊治療のクリニックや病院をいくつも渡り歩きましたが

どの先生も心疾患には辿りつかなかったですね。

不妊治療を諦めるためには、私の場合は仕事しかなかったんです。

特に趣味もなかったし休みの日はぐったりしちゃって出かける元気もない。

そんな矢先、訪問看護ステーションの立ち上げに関わることになりました。

それがきっかけで介護支援専門員の資格も取得して

訪問看護とケアマネージャーを兼務して働くこととなりました。

ちょうど2000年の頃です。

病院では医師の指示のもとに治療の補助としての看護でしたが

訪問看護では、医師の指示の元ではありますが

病院よりも患者や家族と距離が近くなり、生活や人生に触れながらの看護に変わって

いきました。

患者を病気の側面から見るのではなく、人として関わり看護が関わることで安堵して

いただけるような仕事をしていこうと考え始めました。

私は人として他人に関われる器はあるのだろうか?

そんな不安が沸々と湧いてきたのです。

それで、働きながら心理学を学びました。

自分の不安が幼児体験から来るものであり、いずれブロックを外さないと

前に進めないなと新たな不安が誕生してしまいました。

第二の転機

そんなこんなで、ただ看護師を続けている状態ではありましたが

40代で心臓の手術をすることになってしまいました。

非常に体調が悪くて手術前後の記憶が無いくらいです。

唯一、仕事を舐めていた時期がこの時で

でも退院して2週間目くらいから家の近くの有料老人ホームでバイトは初めてましたね。

すぐ、辞めちゃったんだけどこの時の記憶も無い!

2011年に東日本大震災があって「自分に何か出来ないか」と考えるようになりました。

2013年に会社を設立してお泊りデイサービスを始めました。

富山型デイサービスに憧れて、自分もやりたいと思ったからです。

走り切る

2023年、設立した会社を退任しました。

職場も離れほぼ関与しない形を取りました。

会社を設立した時に、引き際を同時に考えておくことが大事だと

アドバイスもいただきました。

特に私は、東京から被災地に入っての会社設立でもありましたので

復興支援でもありました。

その場合は、地元の方々に生きていく気力と力が戻ったら支援者は撤退するのがセオリーです。

撤退を意識したのは、ミーティングでのスタッフの意見でした。

「法人1人の会社で、役員に何かあったときに私達は大丈夫なんですか?」と言う意見が出ました。

私からは、会社を買ってもらい役員を増やすことを提案しました。

ミーティングに参加した全スタッフが提案に同意したため会社を売ることを決意しました。

会社株を全株売り、代表取締役から取締役に降格しました。

本来であれば、会社を売った時点で私は退くのが正しかった様に今となっては思います。

なぜなら、会社株を売ってからの3年間は新しい体制が進むのを私の想いが堰き止めて

しまっていたからです。

なので、会社を退任し次のステージへと向かうことにしました。

続きは次回へ