臨終を告げられた瞬間、妹が発した言葉
2021年3月6日
8:07
『あ~、楽しかったパパの介護』
私の家族は7人家族
おじいちゃん
おばあちゃん
お父さん
お母さん
私
妹2人
母が食道癌の診断を受けたのと同時に
父は落ち込んでしまいました。
母の看病に専念することを想定して
父の介護保険申請を行いました。
特に持病もなく、まぁまぁ健康で風邪もひかない父
眼科や歯医者も通っていなかったため
主治医はとりあえず近くの眼科の先生にお願いして
意見書※1を書いていただくことになりました。
すると
出てくるは
出てくるは
病気のオンパレード
介護サービスどころでは無くなってしまい
父の通院がスタートしました。
母はすでに末期だったため、とりあえず(ごめん母!)
手術をして入院加療しました。
父も母も入退院が頻回にあり、このころの私の記憶は
飛んでます!
母がもう余命幾ばくもなくなった時期に
自宅で看取ることも念頭に入れていたため
父は有料老人ホームへ入所してもらいました。
父はそこで、すっかりなじんで
普段寡黙で足を崩して座ってリラックスしたり
テレビを見てげらげら笑うなんてこともないような人でしたが
私たちが面会に行くといつも楽しそうに
スタッフと外食した話や1人でバスに乗って出かけている
話を嬉しそうにしてくれました。
母を看取ってからも、そのまま父は有料老人ホームで暮らし続けました。
ある日、ホームの看護師から血痰が出たので検査に出したと
報告があり、結果は肺がんでした。
姉妹で話し合い、積極的な治療は行わず最期までホームで
見ていただくこととなりました。
姉妹3人が揃うときには自宅に外泊させたりして
一緒の時を過ごし、動けなくなってからはホームに
ちょくちょく面会に行きました。
もうそろそろかなと感じ私は携帯を枕元に置いて
いつでも駆け付けられるようにはしていました。
息を引き取ったのは夜間で、スタッフが見回った時には
すでに呼吸が停止していた状態でした。
臨終には間に合いませんでしたが、姉妹3人で
父とはものすごく密な時間を過ごせました。
自宅での介護の時期もあり、結構手がかかりましたが
姉妹で助け合いながら寄り添えたと思います。
私が最初に決めたのは、経済的な部分は私1人で
賄おうということです。
妹2人にはお金の心配はさせず、ただ親と過ごすことだけを
考えてもらおうと思いました。
その結果、父の看取りに駆け付けた妹が発した言葉が
看取りを通して家族が1つになったんだと確信出来ました。
※1…主治医意見書とは、主治医が申請者の疾病や負傷の状況などについての意見を記し、要介護認定を行う際のコンピュータによる一次判定や介護認定審査会(リンク1参照)での審査判定の資料として用いられます。主治医意見書を作成してもらえる医師の心当たりがない場合には、市町村の指定する医師の診断を受ける必要があります。
貼り付け元 <https://www.tyojyu.or.jp/net/kaigo-seido/kaigo-hoken/shujii.html>