家族とのさようなら【おばあちゃん】
2021年3月3日
5:47
私の家族は7人家族
おじいちゃん
おばあちゃん
お父さん
お母さん
私
妹2人
おばあちゃんは私が20代に時に病院で亡くなりました。
もともと、心臓に病気を抱えてはいましたが
自宅で平穏に暮らしていました。
近所にお友達も居て、良く2人でおしゃべりしていました。
いつも着物を着ていて、正座をしていました。
朝はざしきぼうきで自分の和室を掃き掃除していました。
孫の私たちをだっこしたり、おこずかいをくれたり
いい子いい子(頭を撫でる)もされたことは記憶にありませんが
そんな気丈なおばあちゃんが好きでした。
家を新築するため、その間親戚の家で過ごしましたが
転倒して大腿骨頸部骨折してしまったため
家の近くの病院に入院しました。
心臓が悪く手術が出来ないと医師から言われて
そこから、終末期へと入っていきました。
体内でじわじわと出血が進み悪いほうの足が良いほうの足の
7~8倍に膨れ上がりました。
顔色も真っ白で、輸血が始まりました。
母は毎日病院へ行き、看病していました。
そして、病棟の看護師から
「付き添ってください」と言われました。
当時は、付き添いさんと言って家政婦さんが病室に泊まり込んで
患者さんを看るシステムがあったのですが、
たしか1日7000円くらい掛かっていたように思います。
私が言われたので、それを母に告げられず
住み込みで働きながら看護学校に行っていた私が何日か泊ったのを
覚えています。
仕事も学校もあった私は、「これ以上泊れない」と病棟看護師に相談したら
「あなたも、看護師の卵だったら。付き添いが必要なことぐらいわかるでしょ」
と言われました。
看護師が部屋を去った後、付き添いさんが励ましてくれたのをうっすら覚えてます。
おばあちゃんは、酸素を吸って輸血をしていたため自宅には戻せず
病院で亡くなりました。
気丈で、着物姿のおばあちゃん
座る時も足を崩すこともなく、いつも正座できちんとしていたおばあちゃん
最後は、病衣がはだけて苦し気で
口呼吸でお話しも出来ずでした。
こんな当時の想いが今の私の強みを作っているのかもしれません。
大切な人をどの様に最期看取るか?
あなたとその人の歴史でそれぞれと思います。
今は医学も進んで治療方針も選択肢が多くあります。
また、在宅を選んだ場合でも制度を使い色々なサービスを受けられます。
インフォーマルなサービスを含めれば不安が少なく看取りが出来る時代になりました。
理想のゴールを思い浮かべてみてください。
表情はどんなですか?
どんな服を着ていますか?
どこに居ますか?
誰と居ますか?
何を話していますか?
そこから、看取りの方針が少しずつ決まっていき
悔いのない見取りが出来ます。