【アラ還看護師のセカンドキャリア】 転職を失敗と思わないために
人生100年
長い人生どう生きるか?
アラ還看護師にとっては、中間テストに挑む心境です。
看護師ってやりがいがありますよね。
看護師で良かったです。
身近なところに看護師をしている人が居なかった私は
ただ、なんとなく看護師になりたいと思い看護学校に行きました。
憧れではなかったので、直感だったのかもしれません。
アラ還看護師の皆さんは、どんなきっかけで看護師になりましたか?
私より、上の年代のサードキャリア看護師の方々は
親の提案だったり、生活の糧としてという理由と伺ったことがあります。
70代の方々です。
看護師は、一度資格を取得すれば更新研修や適正のチェックのようなものが
ないので、自分が働きたいと思えば永久に働ける。
いいような悪いような。
私は、自分がアラ還看護師となり改めて感じることがあったので
読んでくださっている方にお役に立てばとこのブログを書いています。
目次
仕事に突っ走るきっかけはなんだったのか?
質問です
「看護師として生きる」と決めたきっかけはなんですか?
私は、不妊治療です。
24才で結婚して、当たり前のように子供を授かると思っていました。
結婚して2年経ち3年経ち、授からないなと。
そこで、不妊治療を受けようと考えました。
パートナーは「居なければ居ないで、2人で楽しく過ごせばいい」そんな考えでした。
治療すればすぐに妊娠するんじゃないかと軽い気持ちで望んだ不妊治療でした。
結局、10年くらいは治療に時間やお金を費やしてしまいました。
その、治療を諦めるきっかけ作りだったと思います。
今、思えばカチャっと切り替えた訳ではなく仕事をするしかなかったような気もします。
パートナーとも心の距離も出来てしまいました。
私の仕事に突っ走るきっかけです。
看護師として、バリバリと働く仲間たちをみていると
やはり、その方の過去の歴史が仕事への情熱になっているのではないかと感じることが多いです。
40代50代の看護師仲間をみていると「経済的自立」の強い意識を感じます。
親にお金の負担をかけずに自立して生活する。
その思いを感じます。
生きるための仕事。
仕事をしないという選択肢がない。
きっかけは様々だとは思いますが、私も自分の治療費は自分で稼ぐ、生活も依存しない
という思いのもと仕事を続けています。
求めるものの代替えは正しいのか?
つまり、欲しいものが手に入らなかったから仕事頑張るだったり
自立するための手段だったり
そのために仕事をする。
看護師を使う。
これは、正しいのか?
私は、不妊治療がうまくいかない時期に
妊娠を望むことは、物欲なのではないかと思うようになりました。
「みんなが持っているから、私も欲しい」
でも、無理だから仕事する。
正しいのか正しくないのか
今となっては、そこが起爆剤となったんだから、それはそれで良し
得られたものは何だったのか
セカンドキャリアの年齢まで、看護師が出来て本当によかった。
子宝に恵まれなかった私は、時間が自由に使えたのでほとんどブランクなく働くことができました。
経験
収入
知識
技術
技能
と、長く働いていると得られるものが多くあります。
しかしながら、得られなかったものもあります。
それは、家族との時間です。
年末年始や祝日は、仕事をすることの方が圧倒的に多かった。
夫婦で休みを合わせたり、家族の集まりに参加できなかったりしていました。
「家族には、理解してもらって感謝している」と付け加えていますが、
罪悪感もおおきい。
病気には休みがあるわけじゃないから、私が出勤すれば組織がうまく回る。
そう考えていました。
得られるものと引き換えに失うものもあったということです。
セカンドキャリア世代を意識して
40代で起業した私は、退任という形でセカンドキャリア世代に突入
することとしました。
私は起業していたため、どんなに休みが無くても自分時間の中で生きていたんですよね。
だから、オンとオフが明確に無くてもさほど辛さはなかった。
さほどというのは、身近な人の葬儀に参列出来なかったことが数回ありました。
日程ずらしてお焼香だけでもと思いましたが、叶いませんでした。
それは、やっぱり悔やまれます。
セカンドキャリア世代は、引き際を意識するものでもあります。
何歳からがセカンドキャリアというものでもないので、働き方を変えるのには
きっかけが必要です。
長く働いてきたからこそ「嫌だから辞める」とか「辛いから辞める」は
よくないことだと意識しているから尚更きっかけ探しに苦悩します。
私の場合は、退任して転職の流れになりました。
退任はやはり揉めるかなと感じました。
新しい会社代表や職員にとっては、1人の駒として
(言い方よくないですが)
存在する方がいい。
これは、人材不足の業種だからです。
会社役員だった私ですが、少しづつ振り込まれる役員報酬が減って行きました。
新しい会社代表は、24時間365日働いてる私を休ませようとしてくれていました。
だから、報酬が減るのは当然なのです。
セカンドキャリア世代の大事な心得のは「収入が減ることへの順応」だと思います。
なぜ、自分がここに順応出来なかったか。
私の周りには、仕事での成功者がとても多くいました。
40代50代での成功者です。
輝いて見えました。
収入も多く、生き生きと輝いて働いている。
そこに、自分のイメージを重ねました。
どうにか、同じ景色を見れないものか?
そこが、退任を決断するきっかけにもなりました。
思い切った転職
仕事を辞めるには、まだ早い。
転職へのチャレンジです。
そこで、大きな挫折を味わいました。
感情としては「落ち込み」と「恐怖」です。
曲についた踊りのように、心と身体が反応して仕事をしていた私です。
年齢的には若い人たちの下について働かせていただく。
そんな精神で転職しましたが、びっくりするほどダメ出しをいただいています。
まさに、ちょうど今ここでのこの状況がどなたかの役に立つんじゃないかと
ブログにしているところです。
新しい雇用主は、私のキャリアで仕事内容をイメージします。
ですが、起業で自分時間の中で働いていた私は、人の時間の中で働くことのペースに
乗れなかったんです。
「なんだか、うまくいきません」その思いもうまく伝えられませんでした。
であれば、思考を変えてみてはどうか
今後の課題が見えてはきました。
まずは「苦痛の習慣化」です。
最初の歯磨きが苦痛でも、毎日毎日歯磨きをして入れば苦痛どころか歯磨きにマイナス
感情は芽生えなくなる。
そんな感じです。
苦痛に慣れていくっていうことです。
落ち込みと恐怖を感じると、逃げることではあっても辞めちゃいたいと考えます。
でも、そこを迷っている時って雇用者には伝わらないこともわかりました。
実際、起業している間は立場が逆で私が聴く側でしたからなんか複雑です。
苦痛の習慣化と同時に、苦痛を楽しむ力を身につけたいです。
目の前にあることを、毎日コツコツ積み重ねていき叱責に過剰反応しないでいく。
転職で過緊張の状態になり、身体反応も出始めたので気落ちの切り替えに集中しました。
今、出来ることは
経済的自立
精神的自立
を売りにしてきた私ですが、家族を頼ろうと思います。
人生100年であれば、仕事を引退して家族と過ごす時間が訪れます。
その時に、家族とコミュニケーションがうまく取れないとまたまた苦痛が訪れます。
セカンドキャリア世代は、自分がどの位置にいるかで心持ちは変わるとは思いますが
少なくとも、一番身近な家族にはなんでも話せる関係に再構築していきたいと思います。
セカンドキャリア世代のアラ還看護師の中には、独身を貫いた人やシングルで頑張り
抜いた方も大勢います。
そんな方達も、サードキャリアの年代に向かっていく時に話せる人がそばにいることが
心穏やかに楽しく生きることが出来るのではないでしょうか。
人は1人では生きてはいけないのですから。
頑張ったご褒美がもらえるようなそんな生き方をしていきたいです。
最後まで、読んでくださりありがとうございました。